FC2ブログ








官能小説「零れる月」 教師(10) 


私は一哉の車からなかなか降りられずにいた。

部屋の場所を彼は知りたがっているんだろう。
とうとう大学の近くまで来てしまった。


「ここでいいから」

何度目かの台詞。
強くなる語尾に、やっと諦めたように車が止まった。

枯れ草が広がる細い道。
教師の彼をいつも待つ場所のすぐ側だ。


「また誘うよ」

一哉が馴れ馴れしく頭を引き寄せて耳元で囁く。
その湿った息に肌が粟立った。
彼からは、まだ、行為の残り香がする。

その体臭と感覚がまた私を支配しそうで
礼を言うと、やんわり引き剥がすように彼から離れた。


名残惜しげに窓が閉まり
黒い車がゆっくりと離れていく。

私は、その影を見送ることもなく
逃げるように背を向けて歩き出した。



久しぶりの講義は恐ろしく長く感じる。

外に出る気になれなくて閉じこもっていた間
今期の単位獲得のいくつかが危うくなっていた。

まるで頭に入らない
子守歌のような教授の声を聞きながら
メモを取るフリをする。

メモを取ろうにも
鞄の底から見つけだしたペンのインクは
どうやら切れているようだ。

講義に出ようと思い立ったものの
なんというやる気の無さだろう。

くるくると、ノートにペン先を走らせて
白い紙に残されていく炙り出しのような模様を眺めながら、
私は、ぼんやりと思考を巡らせた。


ずるずるとした関係が良くないのはわかっている。

…いっそ、全ての糸を断ち切って自由になってしまおうか。


大学をやめて実家に帰って。
近所で勤めたら家族は喜ぶだろう。
夢があるわけでもなし、どんな職種でも構わない。

お見合いでもして、結婚して
普通に子どもを産んで育てて

その気になれば、いくらでも逃げ出す手段はあるのだ。
全てをやり直すことだって。
きっと。


がたがたと人の動き出す気配で顔を上げる。
長い長い1コマは終了したみたいだ。

私も小さな鞄を抱えて立ち上がると
人の流れとざわめきに乗って教室を出た。


良は…

元気にして居るんだろうか。
まるで何年も会っていないかのように懐かしい。

何の連絡もないことが有り難かったけれど
私の存在が彼からすっかり消し去られたようで
矢張り淋しくも思う。


何も言わないけれど
何も聞かないけれど

彼は全てを見ている。
そんな気がした。



「美羽!!」
人混みの中から呼ぶ大きな声。

「久美?」

聞き覚えのある声の方へと目を凝らすと、
人をかき分けるように此方に向かってくる
久美の姿が見えた。

「久しぶり!今日は講義に出てたのね」
相変わらず良く通る大きな声。
とても元気そうだ。

まるで子どものように二つに結んだ髪。
派手な髪飾りも幼い顔つきの彼女にはよく似合った。

「うん。体調も戻ったから・・・」
「え、風邪でも引いてたの?どうして呼ばないのよ!」
「ごめんごめん。でも、もう大丈夫よ」


責め立てる口調と仕草を笑いながら宥める。
そういえば、随分と長い間笑っていなかった気がする。

「あ、そうそう。美羽にお客さんよ」
「お客さん?」


人の波が引いて、視界が広がる。

見慣れたスーツ。
いつもよりはしっかりと締められたネクタイ。


「…さえき、先生?」


現実の感覚が危うくなる。

私の「日常」に存在しないはずの彼が
確かに其処に、居た。






ランキング応援いつも有り難うございます(別窓で開きます)
人気ブログランキングへ

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://miwamiwa.blog13.fc2.com/tb.php/36-4da7c443




出会い