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官能小説「零れる月」 恋人(6) 


「どうする?泊まっていく?」
「んー。どうしようかな」


空になったお鍋の蓋を、もう一度開けて確認する。
結局、殆ど彼一人で食べてしまった。

「食べ過ぎだよ…」

わざわざ、台所の換気扇下で煙草を吸っている彼。
流石に、ちょっと苦しそうな顔。

「うまかったよ」
それでも、私の咎めるような呟きに真っ直ぐ笑みを返す。


「あ。とりあえず、風呂貸して貰える?」
「うん。いいよ」
「帰って入るのも面倒だしさ。時間外だと、寮のボイラーうるさいんだよ」


彼にバスタオルを手渡すと、そのまま腕を引き寄せられた。

「美羽、一緒に入る?」
「や・だ」
「ちぇ。もうみんな見てるのに」

彼は、真っ赤になった私の唇に軽くキスを落とすと、
肩を震わせながらバスルームへ向かった。


シンクにたまったお皿を洗い始める。

背後で、シャワーの音に紛れて鼻歌が聞こえてきた。

鼻歌も音痴なんだ。
私は、吹き出しそうになるのを堪える。


穏やかな時間。
ちょうど空の鍋に手を掛けた時、電話が鳴った。


「はい、もしもし」
「美羽か?」


穏やかだった心が、急に波打つ。

「…裕介さん?」
「ああ。今から逢えるか?」


声が震える。
バスルームに聞こえないようにと声を落とす。

「今日は…」
「…彼氏でも来てんのか?」

言葉が出ない。


押し黙った私に、彼が口を開く。

「…そうか」
「彼氏が来てるんなら仕方ねーな」
「…待って……!」


受話器を置こうとした彼を、咄嗟に引き止める。

「どうした?」
「…11時半に迎えに来て」
「…判った」

通話が切れる。
私は立ちつくしたまま、受話器を握りしめる。

私から受話器を置くと、二度と電話がかかってこない気がした。



…胸が苦しくて、息ができない。
鼓動を抑えるように、胸を掴む。


「っ…ふぅ。さっぱりした」
髪の毛を豪快に拭き上げながら、彼がバスルームから出てきた。

「電話?」
「…うん。ちょっと用事ができちゃった…」
「ああ、久美ちゃん戻ってくる?」
「…そうじゃないけど」


「行って来て、いい?」
彼の目を見つめる。


…お願い、気付いて。
どこかで、彼に止めて欲しいと願っていた。


「いいよ」

すんなりと答えが返る。
私の中に、暗い影が広がる。

「…泊まるなら泊まっていいよ。でも、きっと遅くなるから先に寝てて」
「わかった」


洗面台の鏡に映った顔に、ゆっくりと化粧を施していく。

泣き出しそうな、酷い顔。
彼の居る部屋からは、賑やかなテレビの音が聞こえる。

私一人、日常から切り離された気がした。



いつもの暗い道で、一人彼の車を待つ。

時間よりも、随分早く部屋を出てきてしまった。
それでも、私の前を通りすぎる車はない。
重く沈んだ暗闇に、背後から飲まれそうになる。


私は、いつもこうだ。

まるで、体に刻み込まれた指令のように。
彼の言葉には逆らえない。彼の望みには逆らえない。

これだけ捧げて、何が残るんだろう。
私は、何を彼に求めているんだろう。


思考が澱み始める。
ライトが、思考を遮るように私を照らし出す。

私は、黙って彼の白い車に乗り込んだ。





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